小諸藩成立後も何次かにわたって、小諸城の縄張りは手直しされました。とりわけ本丸を囲繞する石塁・帯曲輪は格段に強化されたようです。
◆石塁で本丸を囲む帯曲輪◆
▲石塁の突端にある御駕籠台
現在、黒門橋があるところには往時、算盤橋という架け外しできる橋がありました。橋を渡ると黒門をくぐって本丸に入るようになっていました。谷の縁には黒門を挟むように石塁防壁が築かれていました。
黒門をくぐったとたんに石塁に直面し、本丸に入るためには直角に二度曲がるしかありません。石塁は大きな桝形を形づくっているようです。
往時、帯曲輪の中央部には本丸御殿がありました。今では懐古神社があるだけです。
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◆天守台◆
帯曲輪の北西端にはひときわ高い石垣の天守台があります。ここには江戸初期の寛永期(1620年代頃)まで三層の天守が聳えていたと伝えられています。早い時期に天守は失われたようです。
天守台には今、北東端に山桜、南西端に赤松が植えられています。今では本丸の馬場跡は桜の名所で、春には天守台からの眺めはなかなか壮観です。
▲石塁よりも一段高い天守台
▲天守台は幅の狭い石塁に続く
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◆石塁上の狭い道◆
▲石塁上の通路は幅が狭い
天守台から石塁の築地道へと歩いてみましょう。
帯曲輪西端の石塁は、馬場跡側から眺めると周囲を圧するほどに大がかりな石垣に見えますが、その上部は幅の狭い石塁で、石垣で覆われた防壁です。
石塁帯曲輪の内側の地面は、外側よりも2メートルほど高くなっていて、石塁との高低差は2メートルもなさそうです。
石塁上を南に歩いてから本丸内への石段を下りて南面すると、さらに馬場に下りる石段坂があります。
⇒本丸の構造を復元した想像図
◆馬場跡は桜の名所◆
本丸の西端を南北に延びる石塁の長さは、100メートルほどにもなります。その外側(西側)は馬場跡で、今は桜の名所になっています。
4月半ばから下旬にかけて、懐古園馬場跡の桜の園には、全国から観光客が花見に訪れます。
その昔の馬場は幅がせいぜい15メートルほどでした。そのさらに外側には、北に銭蔵などの倉庫と番所、南には焔硝蔵があったそうです。市内与良地区の高濱虚子記念公園にある銭蔵は、ここから移設されたものでしょうか。
【写真上】桜の下を散策する。この遊歩道の右側は高台の西端で、急斜面が千曲川河畔まで続く。
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