▲成就寺の総門 重厚な薬医門形式で装飾の木彫が素晴らしい
中沢川の畔にある寺のなかでも、一番上流にあるのが真言宗の成就寺です。
15世紀の末に大井氏が鍋蓋城とその城下町を建設し、その後16世紀のはじめに城の鬼門(北東方向)に「城蹴寺」を勧請・建立しました。堂塔伽藍を備えた立派な寺院で、地蔵院、華蔵院、明王院、月光院、円蔵院、太子堂の六坊があったそうです。
これが地名の起源で、仏道に奉仕する場が6つあったことから、この地を六供と呼ぶようになったと言われています。
▲成就寺の堂宇群 両側を谷川に挟まれ、裏手に小高い山が迫る地形、そして本堂の前を石垣と池で囲む形は、あたかも防備の堅い城に見える。
鍋蓋城と小諸の街を建設した大井氏が、この場所に城就寺(成就寺)を建立した理由は、境内の位置と地理にあるように思える。両側を谷川に挟まれた高地で、ここに立てば小諸宿の街全体と城を見渡すことができる。
尾根沿いに最短距離で街の中心部と城に攻め込む経路は、この寺によって塞がれている。戦時にここに伏兵を置けば、街道沿いに敵兵が城に近づくことをほぼ完全に阻止できる。
このような城下町づくりは、徳川幕藩体制のもとで小諸を領した仙石家や松平家などによって引き継がれ完成されていった。
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