小諸宿本町の商人たちは、明治以降になっても蓄えた富と経験を土台にしながら、進取の気風も取り入れ、近代化や殖産興業の時代にも対応しました。
というしだいで、本町には江戸後期から明治時代、大正時代、昭和初期にいたる各時代の商家の建築様式が保存され、復元されているのです。
◆古い町屋の保存と再生◆
「そば七」は江戸後期の建物ですが、古びて壊されそうになったさいに、そば店の店主が借り受け、多くの住民の手を借りて修復再生したそうです。店舗建物だけでなく奥庭や売り物のそばにも、店主のこだわりとセンスが光っています。
隣の「夢や古美術店」は骨董や古民具をあつかう店です。民具をあしらった店舗の外装はたいへんにぎやか。ことに陶製の便器を並べたディスプレイは意外に見栄えがいい!
▲蔵は大和屋紙店のギャラリー「紙蔵歩」
さらにその隣は「大和屋紙店」。白壁の蔵造り風の店舗が、この店の町屋コンセプトなのでしょうか。通りの向かい側にも、美しく重厚な白壁土蔵風の大和屋のギャラリー「紙蔵歩」があります。
ギャラリーの東隣の建物は、江戸後期の小諸宿の商家の典型的な町屋造りを再現したもの。街道に面した間口が狭く、奥行きが深い家屋で、低い屋根の厨子二階となっています。
街道に面した土地は限られていたため資産価値が高く、間口の広さに応じて課税されたので、間口を狭くする地割になったのです。間口が広い建物は、本陣問屋や脇本陣とか富裕な旅籠とか、特別な商家に限られていました。
◆明治期・大正期の重厚な町屋◆
▲重厚な構えの町屋が並ぶ一角
本町通りをさらに東に進んだところに、暗灰色の壁の「萬屋骨董店」を中心とする重厚な造りの町屋が並ぶブロックがあります。
骨董店の建物は、明治中期に設立された「小諸銀行」の家屋です。家屋の両端の袖うだつは一階部分から直立しています。小諸の富裕な商家が共同して明治28に銀行を創設したのです。
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