◆全宗寺と福徳稲荷◆
海応院の山門の南で荒町通りはゆったり曲がります。そこから北東に向かう小路を入ると普門山全宗寺があります。
境内の説明板によれば、禅刹、全宗寺は江戸時代初め1624〜43年頃、海応院の僧上によって開基・開山されたそうです。本尊は「聖観世音菩薩坐像」だとか。
▲幕の奥には稲荷の本尊、陀枳尼尊天
その西隣には福徳稲荷の祠。本尊は陀枳尼尊天で、荼枳尼天とも書かれます。古代インド由来の神で、日本では白狐に乗って天空を翔る女神として描かれます。狐と縁があるせいか、稲荷信仰と結びつきました。
仏光寺◆
荒町2丁目交差点から斜めに東進する路は、その昔「八幡小路」と呼ばれていたようです。
この路を200メートルほど進んだ右側に仏光寺があります。今では本堂の屋根が白く塗られていて、少し不自然です。以前は赤褐色だったようですが、錆が広がったため、近年白く塗り直したようです。
境内入口に「上州太田大光院呑龍上人御隠棲の旧跡」という標識が立てられています。呑龍上人は浄土宗の僧で上州大光院の住職でしたが、科人を匿ったためにこの地に逃れ隠棲したのです。
◆熊野神社と八幡神社◆
▲熊野神社の表社殿
仏光寺からさらに小路を進むと、熊野神社と八幡神社が隣り合う、欝蒼とした鎮守の杜に行き着きます。
一続きの境内の北西側にあるのが熊野神社です。熊野権現を祀る社で、12世紀に松井川の南側の集落(赤坂、荒町、与良、袋町など)の産土神として紀州熊野から勧請されたものです。
拝殿の奥には3つの本殿があります。これらは、伊邪那美を中心に、その死後の分身としての速玉男と泉津事解男を両脇に祀る神殿だと思われます。
熊野社の隣に鎮座するのが八幡神社。この神社は、1608年に小諸藩主の仙石秀久が、もとは望月牧にあった八幡宮を城鎮護の神として遷座させたものだといいます。
元禄期(18世紀はじめ)には藩主の命で、武勇の神である八幡宮への神前相撲が奉納されるようになったとか。、以来310年以上、毎年八朔(旧暦8月1日)に境内の土俵で相撲が奉納され続けています。
あの雷電為衛門は数え18歳のとき、この奉納相撲に出場して実力を確信し、江戸で力士になることを決心したと伝えられています。
この境内の地所には、八幡宮が創建される以前、小山氏の屋敷がありました。小山氏は武田家の小諸の都市集落の建設・統治計画にしたがって、この地に居館を構えたようです。
◆長勝寺と蛭子神社◆
▲長勝寺門前は蛭子神社の参道でもある
その与良小山家ゆかりの寺が長勝寺です。もとは「長松寺」だったのが、「長勝寺」に改められたそうです。
一説には、武田家が信濃攻めの戦勝をここで祈ったことから、「長勝寺」に改めたとか。しかし別の説では、1651年に小山家が先祖の供養塔を立てるのにともなって、寺僧大法によって再建開基され、寺名を変えたとか。
長勝寺は、現生利益を唱える真言宗の寺院だけに薬師如来が本尊の1つとなっています。往時は立派な薬師堂があったとか。
▲薬師如来と大日如来
寺の前には与良蛭子神社があって、街道から続く石畳の小径は、寺と神社の共用の参道となっています。正月の与良の「初えびす」はこの神社を中心の祭りで、かつては近郷近在から多数の人びとを集めたそうです。
▲十九夜堂
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