◆豊かな百姓町◆
与良は百姓町だったようです。
今では「百姓」とは農民を表す言葉ですが、室町時代から江戸時代までは「多様な生業の人びと」を意味していました。商人、農民、職人などなど。与良はそういう多様な職分の人びとからなっていた街だったということです。
そして、大地主として農業を経営しながら日本列島規模の特産物貿易を組織して、町の運営にも参画し、武士と肩を並べるほど力のあった階層もいました。
それが「庄屋」とか「名主」と呼ばれた有力家門です。小諸では、庄屋を務めていた小山家がそれに当たると考えられます。
この小山家には小諸藩の領主がときおり来訪したため、殿様専用の座敷や設備があったようです。
与良の街の形、街並みは、富裕農民も含めて多様な職分の人びとが、ここに移住する前の農村との絆を強く保持したまま町づくりをしてきたであろう歴史を物語っているように思えます。
◆こもろ高濱虚子記念公園◆
「北国街道与良館」の周囲は「こもろ高濱虚子記念公園」になっています。
▲与良館のカフェテラス
与良館は、江戸時代に漆器屋だった「松屋」の蔵造りの店舗を復元した家屋で、内部の各室は地区の集会場で催事用にも貸し出されているとか。
与良館はこの地区の街並み景観と文化財を保存する活動の拠点となっていて、ヴォランティアの人たちが観光客に見どころの紹介など街歩きの案内をしてくれます。
与良館の奥には、明治時代に小諸城から移設された銭蔵があります。この蔵は小諸藩の金銭保管庫で、蔵内には石造りの地下庫があります。
▲公園内にはせせらぎが設えられている
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