諏訪湖の北西方向にそびえる東山(標高1430メートル)は、幅広の山頂部から南に――岡谷側と塩尻側に――2本の尾根を延ばしています。一里塚跡までの道は、塩尻側(西側)の尾根の先端をめざすコースで、尾根の南西側の台地丘陵を往くのぼり道です。
すでに山中に入った旧中山道は標高860メートルを越えた高さに達しています。高原ではすっかり晩秋の装いで、山林の紅葉・紅葉は「今が盛り」を過ぎようとしていて、樹々の根本や路上には落葉が厚く降り積もっています。
落葉樹の枝についている葉はまばらになって、ところどころ木漏れ日が射し込んで、山林がすこしずつ明るくなってきています。晩秋の山道歩きの楽しみは、ときどき陽だまりに出会い、そこでゆっくり錦繍の樹林を眺めることです。
■新茶屋立場跡の近辺■
アカマツの葉は緑、カラマツの葉はオレンジ色に▲
牛馬守護神の石塔
東山の塩尻側(西側)の尾根の先端を旧街道が回り込む辺りに、新茶屋立場跡があります。南向き斜面の下に集落と国道を見おろすことができます。山林に取り囲まれた跡地だけで、遺構は何もありません。
立場とは道中の休憩施設のことです。もともとは、「立ったままで休憩する、一服する場所」というような意味があって、そこから茶屋などの休泊施設を意味するようになったのだとか。江戸時代の後期になると、新田開発や商工業の発達とともに人びとの往来や物流が盛んになって、街道での輸送に携わる馬方や牛方が急増したことから、とくに山中の街道や脇往還に茶屋などの簡易な休憩所があらたに設けられるようになったことによるものです。
新茶屋立場(立場茶屋)跡を過ぎると、山側のカラマツ林に「牛馬守護神」の碑が立っています。街道輸送や農耕に携わる牛馬を守る神をそれ自体として祀るのは、きわめて珍しいことです。信州では、そういう守護神や牛馬の遺骸を埋葬し霊を弔う場合には、馬頭観音を祀るのが通例なのですから。勤皇思想とともに神道思想が普及し始める幕末または明治以降に建立されたのかもしれません。
■国道との合流点■
東山の尾根中腹で旧街道は公道と出会う
街道は住宅の敷地を分断するように通っている
尾根を回り込むとその先で傾斜が緩やかになった南向き斜面――谷間の扇状地――に出ます。そういう地形からこの辺りで耕作地や集落を開くことが比較的に容易だったことから、高ボッチ山系に向かう林道の起点として、東山集落が形成されました。
そういう事情で明治以降、東山集落の辺りでは道路建設が繰り返されたため、旧中山道の道筋は変更されたのかもしれません。
私の想像ですが、旧街道は現在の国道20号の南側に当たる場所を回り込んでいたのではないでしょうか。国道建設にともなって、中山道は国道で断ち切られ、それに代わる遊歩道が民家の敷地を分断するような形でとくられ、国道の北脇を並行する状態になってしまったのではないでしょうか。
立札の下にある犬飼の清水跡の標石
東山集落は、2つの大きな尾根に挟まれた谷間に広がる扇状地に位置しています。旧中山道は、扇状地の段丘の下を通っていたようです。だとすると、段差によって段丘の下に伏流水が湧き出てくることになります。
その湧き水が泉となり、沢の起点となっていたのでしょう。それが犬飼の清水と呼ばれた場所です。清水跡の立札には「お公家様の犬が元気をとりもどした清水」と書かれています。今は駐車場を含む宅地として造成され、砂利が敷かれたので、清水があった頃の地形は失われています。
泉から湧き出た水は犬飼沢となって流れ下り、田川浦湖とみどり湖という巨大な溜め池に水を供給しています。
■集落から東明神社の杜へ■
旧中山道は国道から分かれて東に向かう
古民家ではないが、本棟造りの家屋が街道脇にある
旧街道は、犬飼の清水の東で国道と別れて集落の家並みの間を東に向かうことになります。集落を歩いているうちに、この集落は明治以降に開拓村として発足したのではないかという気がしてきました。あるいは、古い高原の村が近代の農耕地開拓で復興したのではないかと。
そう思う理由は、家並みが日本の山間の村によくある、集住型の集落――住居が密集する形の村落――ではなく、数戸ずつ分散しているからです。こういう形の集落は、近代に開拓された高原の村によくあるのです。
そして、とくに昭和期になって開墾が進んで人口と住居が増えて、ひとまとまりの――公民館や分館を備えた――行政区となったのではないでしょうか。
そんな思いにとらわれながら旧街道を東に向かって歩いていくと、右手(南側)に背が高い針葉樹林帯が見えてきました。樹木のほとんどはサワラで、東明神社の鎮守の杜となっているようです。この神社には別の機会に探訪する予定です。
このサワラの樹林帯の西側には、丘の下から旧街道に向けてのぼってくる農道があります。その道と旧街道との合流点の手前、樹林帯の北西端に石仏群を見つけました。3体あって、刻まれた文字から、向かって左は半増坊大権現、真ん中は馬頭観世音、右は判読できません。
立札の下にある犬飼の清水跡の標石
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