▲高台からの八ケ岳の眺望
▲薬医門があって旅籠のような構え
東参道から県道16号・国道152号と続く幹線は明治以降に造られた道です。この道筋は、守屋山系の北端に張り出した尾根裾を西から東に横切って往きます。しかし、鎌倉道とも連絡していたと言われる古い時代の道の跡は、下馬沢側辺りまでは失われています。古い道の遺構は、参道の下に埋もれているのか、それともさらに上の尾根斜面を通っていたのか。謎は残ります。
法華寺前の絵図によると、幕末まで東参道は神宮寺の支院宿坊の列の間を往く神宮寺境内の参道だったようです。この道は鎌倉西街道とも呼ばれていました。
さて、本宮東参道の大鳥居の南脇に叢林にのぼる石段があります。石段の上は若宮八幡社です。諏訪では、その起源や由緒が諏訪大社と関係がなくても、諏訪大社を頂点とする体系序列に組み込まれれいるので、社殿の四囲には御柱が建てられています。
▲高低差がある小路が連なっている
▲ここから東参道に入る
さらに東参道を進むと、南脇に崖のように険しいな斜面に参道石段が見えてきます。これが北斗神社で、参道の段数は200もあるそうです。崖の上の社殿まで高低差は、だいたい30メートルほどありそうです。
若宮八幡と北斗神社は別の機会にあらためて探訪することにします。
やはり歴史・由緒がある神社の門前街には和風の古民家の家並みがあるのとないのとでは、景観の見栄えというか重みが相当に違ってきます。
そんなふうに思う私の目は、沿道に古民家や和風の家屋を探し求めることになります。すると、県道16号沿いに何やら由緒がありそうな重厚な薬医門とその奥の庭園樹林を見つけました。かつて諏訪大社の権祝――「ごんのほうり」または「ごんほうり」と読むとか――という神官(祝氏の補佐役)を務めた矢島家邸跡だそうです。
薬医門は形からすると、江戸時代の地方藩の家老など重職の屋敷にあるような結構です。美しい庭園と大棟造り古民家があるようですが、私有らしく公開はされていません。⇒外部サイトの参考資料
▲火焼山東麓の下馬沢川の渓谷
やがて県道の南側に神長官守矢史料館の駐車場と遺構(屋敷跡)が見えてきました。ここは別の機会に探訪します。
この辺りから南側に下馬沢川沿いの山麓斜面が近づいてます。その斜面には古くからの集落が続いています。下馬沢川は火焼山の尾根の東麓の谷間を流れ下る渓流です。
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