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諏訪湖に流れ込む横河川の堤防の両側に植えられた桜並木は、信州でもその見事さで知られた名所です。
春には桜の花のアーチが、夏には生い茂る緑のアーチが川面をおおいます。諏訪湖畔では最大規模の桜の杜です。 |
桜花のアーチが川面を覆う |
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湖畔の城はかつて湖面のなかにありました。湖に浮かぶ美しい城でした。
湖面の浮き城の面影を探して歩きます。
城主は、諏訪大社上社をつかさどる神職の家門、諏訪家氏の後裔でした。 |
水面に影を映す美しい天守
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背後の守屋山と山林をご神体とし、タケミナカタを主祭神とする諏訪大社上社。
本宮は諏訪大神を中心とする多くの神々が集う神域でもあります。祭事では山の恵みと武威が顕示されます。
古くは大鳥居の前まで湖の波が打ち寄せていたそうです。
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左右の片拝殿の奥には幣殿がある
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明治維新で神宮寺という広大壮麗な寺院は壊されてしまいました。五重塔もあったのですが。
今は、その支院だった法華寺だけが神仏習合の伝統を保っています。
法華寺を訪ね、往古の神仏習合時代の面影を探します。
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法華寺の赤い楼門
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中世に大祝家門は武威をつかさどる諏訪家と最高位の神職の大祝家(諏方家)に分かれました。
すべての神官家が領主化し、家門内で紛争・相克もあったとか。
戦国末期には徳川家に臣従して戦功をあげ、諏訪家は諏訪藩主になり、大祝諏方家は神官に復帰しました。諏方家が幕末まで居館を構えた遺構を訪ねます。
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居館跡地の高麗門(棟門)
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前宮は本宮よりも古くからあった諏訪大社の始原です。中世には、大祝氏が城館を構えていました。城館と神官でもある家臣団の屋敷地もありました。この居館跡地が室町末期から戦国時代の戦乱を経て、前宮として神社の神域となりました。
そんな前宮を訪ね、神社と近隣の歴史と文化を探ります。 |
晩秋の陽に映える前宮境内
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諏訪湖の北岸にあって、温泉の街であると同時に中山道の宿場街として繁栄してきたのが下諏訪です。
諏訪大社下社(春宮と秋宮)の門前町として古くから開けた都邑でもあります。歴史の厚みを印象づける街並みを歩いて楽しみます。 |
古民家「伏見屋」の建物
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高原にある和田峠から流れ下る砥川の畔にあるのが下社春宮です。
江戸時代には、甲州街道の路傍まで諏訪湖の水面が広がっていました。そこから、春宮にのぼる参道は、鎌倉の若宮大路にも似ていたかもしれません。鎌倉時代には下馬橋の近くまで湖水がおよんでいたと見られます。 |
覆い屋根付きの巨大な春宮下馬橋
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現在、4つの諏訪大社のなかで神楽殿や両片拝殿などの社殿の規模がもっとも広壮なのが下社秋宮です。
その経済力を背景に神職の金刺氏は中世に領主化し、一時は勢力を諏訪湖南岸まで広げたそうです。秋宮は宿場街の地場経済との結びつきが最も深かったように見えます。 |
秋宮の広壮な神楽殿
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上田城の南東3kmあまりにある信濃国分寺を訪ね、境内や三重塔、近隣の街並みなどを見て回る。
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浄光寺の薬師堂 |
2019年秋の台風豪雨によって千曲川は氾濫し、長野市長沼は甚大な災害を被りました。長沼には1000年以上も続く歴史と文化があります。 今、長沼の住民と支援者はこの地の歴史や文化を掘り起こし再発見しながら、生活と文化の拠点として復興再建する試みに取り組んでいます。このサイトはその試みの一環です。
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長沼の文化と交流の拠点として修復が進められ ている古民家、米澤邸。200年以上の歴史がある。 |
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