◆深い森を往く参道◆
Summary in English
上窪沢川に沿ってのぼる林道は寺の手前で分岐しますが、どちらからも満願寺に行けます。参道の下に行き着くためには、左の道を行きます。
さて、杉並木の下に冠木門があって、これが参道の入り口です。周囲は深い森に囲まれています。その先に微妙橋(お経橋)があって、これを渡ると地蔵堂で、その脇から石畳の登り道をつづら折りに登る小径が始まります。
▲林道からの地蔵堂の眺め
▲鬱蒼とした森のなかを登る
◆山中の池で見つかった仏像◆
さて寺伝によれば、725年に近傍の池から5cmほどの小さな仏像が発見されたことから大和王権の肝煎で堂宇が建立されたのが創建の起源だとされているとか。
この年の前年には聖武天皇が即位しているので、新天皇(大王)の登壇を権威づけるために全国各地に瑞兆(めでたい出来事)を探し報告すること――中国の王朝・帝国からの伝統で、新帝即位を権威づけるために中央政権は各地に瑞兆の報告を求めた――が求められたはずで、安曇野山裾での仏像発見は重く受け止められたのではないでしょうか。日本に王権の権威を裏打ちする宗教思想(イデオロギー)として仏教が意欲的に取り入れられ、研鑽されていた時代です。
ことに当時、大和王権は、律令制の普及に努め、安曇野を含む信濃に権威を伝達して王権に服属させようと努力していた頃合いです。
安曇野に仏教寺院を建立することは、王権の統治を信濃に広めるうえで相当に重要な意味をもったことでしょう。
▲微妙橋を渡る
この頃の、歴史的事件の年表を示しておくと、
701年 大宝律令の成立
710年 平城京の奠都
713年 養老律令の成立
723年 三世一身の法成立
724年 聖武天皇即位
741年 各地に国分寺を創建する動き
743年 墾田永代私有の勅許
752年 東大寺開基 大仏開眼
というような流れです。
この後9世紀に空海が真言宗を開くので、満願寺創建の頃には深山での密教修行の拠点となったかもしれません。
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