この地方で諏訪大社の神事とつながる「御田植祭り」では、鉄の輪(鉄器)をもつモリヤ神が、枝のような苗木をもつタケミナカタに屈し臣従する物語が演じられます。これは先住の民の山林を敬い活用する文化が水田農耕とともに、諏訪大神への尊崇のもとで回復していく動きを願う物語に見えます。
この神事でモリヤ神が「悪役」とされているのが少し理不尽にも感じます。タケミナカタもまた征服者なのですから。とはいえ、諏訪湖畔の豊かさは山の豊かさに連動・依存していることを、人びとは諏訪信仰に仮託したということのようです。
▲下の段丘をのぼって振り返る
諏訪大社上社のご神体は守屋山と森林で、諏訪大社はこれを拝殿から遥拝する形になっていると言われています。ところが、前宮で一番奥にある社殿は「拝殿」ではなく、「本殿」と呼ばれているようです。前宮だけ「本殿」と呼びならわすのには、何か理由があるのかもしれません。
▲十間廊の上段側の姿
▲さらに上の段から二の鳥居を振り返る
前宮は、本殿に向かって参道沿いに急な尾根斜面をのぼっていくようになっています。二の鳥居の前と後ろに2列の段丘崖があります。この地形は基本的には糸魚川静岡構造線の断層崖ですが、表層は北側も低地を流れる宮川と上川がつくった山裾の河岸段丘だとも見られます。
一番下の段丘で、二の鳥居に向かって右手には内御玉殿があります。宝物殿で、かつてここには真澄鏡と弥栄鈴などの神宝が収納されていたそうです。
鳥居の反対側にあるのが十間廊で、これは中世まで諏訪の祭政の儀が執り行われた政庁だったそうです。廊閣の一番上座(右)には領主である大祝が座し、中位の座には家老や奉行など家臣団が並び、南にある高御子屋(神子屋)――今はない舞殿――での舞楽を見たそうです。
⇒前宮の社殿と歴史遺跡の位置案内
⇒前宮付近の地理と地形
内御玉殿の背後には根元から幹分れした大ケヤキが立っていますが、その下の石段をのぼると本殿まであとわずかです。その先に見える杜のなかに本殿が安置されています。
本殿の参拝所には最後の石段をのぼった先の参道を歩いて到達します。参拝所の奥に左右に伸びる結構がありますが、これはタケミナカタとヤサカトメの夫婦神――大祝の始祖――の墳墓の上に建てられた社殿です。これが神域の中心ですから「本殿」という呼び名になっているのかもしれません。
本殿の東脇を流れ下るのは神水「水眼」の流れです。年間を通じて清冽な水――名水と評価されている――が流れ、周囲を潤しています。
▲参拝所の奥に建つ本殿
▲四之柱がはるか北に臨む八ケ岳
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