古町に住む年配の方に話を聞きながら古民家を探して撮影しました。
右は、明治時代に絹染物の工房を営んでいた大きな建物です。この地区では、明治以来、養蚕が盛んで、古町では糸繰りや絹織布、染色など一連の生産工程を担う工房があったそうです。
▲古民家が並ぶ小径
▲西蓮寺の東側の家並み
住民たちの話を聞くと、できるだけ古民家の構造を残しながら外装を復元し、内装を中心に改修することを心がけているようです。
この30年以上にわたって、そういう努力が続けられたので、この街にはこれだけ古民家が保存されているのです。
とはいえ、住む人がいなくなって放置され荒廃してしまっている古民家も目立ちます。
しかし、これだけの数と割合の古民家が残されている街は、伝統的な景観資源という点では、きわめて大きな希少価値をもつのではないでしょうか。。
規模の大きな土壁の民家は養蚕に適したもので、それが多いのは、昭和30年代までこの辺りでは養蚕が盛んだったことを物語っています。
▲西蓮寺の鐘楼の彼方に長窪城跡
▲集落を流れる町用水
古町では、明治期から養蚕や蚕糸業が盛んになって、昭和30年代(1960年代)まではかなり豊かな街だったようです。
近郷近在の中心都邑で、豊受大神宮の祭礼や西蓮寺の縁日には、大勢の人びとがやって来て、この街には人波が絶えなかったそうです。
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