豊受大神宮は伊勢神宮の外宮で、伊勢神宮への飲食をまかなう神様なのだとか。神様の世界では伊勢神宮の「飲み友達」と言えるかもしれません。
この神社の起源については、こう伝えられています。
▲石段参道の上、最上壇にある社殿
平安時代の834年、皇女内親王が伊勢大廟の斎主になったことにともない、依田の庄が斎宮の御料地となったことから、伊勢からこの地に社を分霊して祀ったのだそうです。
13世紀半ばには、地頭領主の海野小太郎が伊勢本宮に準じて、20年ごとに正遷宮の行事をおこなうようにしたのだとか。ということは、今ここに残されているのは外宮、豊受神宮だけですが、往古には伊勢本宮もあったということになりそうです。
それがどうして豊受神宮だけになったのかについては、記録がないようです。あるいは、はじめから外宮だけを分霊勧請したのでしょうか。
ところで、信州では伊勢神宮またはその例祭を「おたや」と呼んで親しまれています。おたやとは、本来、「御旅屋」または「仮宿」と記すようです。神様が遷宮のさいに停泊する仮の社という意味なのだとか。この説に対して、伊勢から地方に派遣された御師が伊勢講を奨励・組織した宿泊した宿が「御旅屋」と呼ばれたとする説もあります。
▲境内の池
▲石段の段位立つ大鳥居
この地方で新年の祭礼を「おたや」と呼ぶようになったのは、遷宮祭で神様が御旅屋に移ることが起源なのか、御旅屋に宿泊する御師が仕切った祭礼だからなのか。
|