▲ハルニレの根方に並ぶ石仏群
▲街道東脇の段丘崖にある氏神社(春日社)
中綱湖の南西岸は、中綱沢が形成した扇状地となっています。その扇状地に中綱の集落があります。
千国街道は、西岸に続く山裾の急斜面から離れて、谷間に開けた湖畔の比較的に勾配が緩やかな斜面に出ます。そこで中綱集落に入ります。急峻な山腹が集落の背後に――湖岸から300~400メートルほど西側――まで迫ってきています。
仁科三湖西岸では山並みの急斜面が湖に向かって落ち込んでいますが、その急斜面が地溝帯の西側の壁をなしていて、そのまま巨大な断層面(断層崖)となっています。その山並みの谷間を流れる沢や川が山腹を削り、その土砂を湖岸の谷間に積み重ねることで扇状地形がつくられたのです。
集落がある扇状地斜面には、等高線に沿って三~四段ほどの湖岸段丘があります。段丘の高低差は場所によって1メートルほどから3メートルくらいまで変化しています。
▲湖畔に降りていく小径
▲湖畔にはヘラブナ釣り桟橋やあずまやがある
▲湖畔の湿地帯を往く小径
湖畔から一番下の段丘のあいだは湿地帯で、養殖池や湿田となっています。湿地帯の東端(湖の縁)には小径が通っていて、湖岸の遊歩や釣り人たちの移動に利用されています。岸辺にはところどころに釣り用の桟橋や浮橋が設けられています。
湿地帯の上の段丘には水田が広がっていて、西側の山麓に向かってきわめて緩やかな斜面となっています。
集落で一番低地にある家並みは、水田地帯の上の段丘にあります。千国街道は、もうひとつ上の段丘上を通っています。
さて、集落の北端にさしかかった街道の東脇には小さな祠があって、段丘崖に張り出した祠の土台はコンクリート石垣で支えられています。
近くの畑で休んでいる老人に祠が何かを訪ねたところ、自分が属す家門の氏神で春日社だと説明してくれました。この集落には3つの氏姓しかないのですが、そのひとつの家門が祀る氏神だそうです。
その昔、仁科氏の分家の領主に率いられて、木崎湖の南岸辺りから北に向かって移住しながら開拓を進めた人びとのうち、3つの氏族がこの地に定着して村づくりと開墾を進めたのでしょう。そのほかの人びとは青木湖畔、さらには佐野坂峠を越えて開拓進めていったのです。
街道は、氏神社脇を過ぎると、集落の中ほどを等高線に沿って南北に貫いています。家並みは街道を挟んで西側――扇状地斜面の上方――と東側に広がっています。
古くは、街道の上の方だけに村落があって、雪解けや豪雨で中綱湖が水位が上昇しても安全な位置に居住し、水田を開墾、耕作する作業のために湖畔の低地に降りたものと考えられます。
▲薬師堂の北脇に並ぶ石仏や庚申塔
▲春の陽射しの下で静かにたたずむ薬師堂
村の中心部を通る街道に沿って薬師堂があって、そこから120メートルほど南に水神社があります。
薬師堂の北脇には庚申塔や石仏が並んでいます。ということは、かつてはここが村人が集まり祭事を催す中心部だったということになりそうです。薬師堂の南にある杉並木の西側が水神社の境内ですが、道を挟んで東側に筆塚が立っています。その昔、神社に手習い教場があったのかもしれません。
街道沿いに水神社から150メートル南には庚申塚と石仏群があります。
▲シバザクラに囲まれた石仏や石塔
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