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大町市街北西の水田地帯に水を供給する用水路は、「ぬるめ」と呼ばれる温水路から始まります。
アルプスから流れ来る冷たい川水を、幅広で浅く、くねるように蛇行する水路が森のなかを流れています。 |
蛇行する上原温水路
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高瀬川の上流部を締めくくるのはは大町ダム。北アルプスからやって来て高瀬渓谷に集まる膨大な水を貯え、発電します。
北アルプス山麓の大町市街からほど近くにある雄大な風景を楽しみましょう。
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大町ダムがつくる龍神湖
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明治維新で松本藩の混迷によってほとんどの寺院・仏閣が壊されてしまった大町で、神社に残された観音堂と三重塔を訪ねます。
鎌倉時代に北原を中心とする中世型城下街を築いた仁科氏の栄華の痕跡をとどめる神社です。
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重厚感たっぷりの三重塔
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白馬村南端の佐野坂峠を越えると大町市に入ります。眼下に青木湖が見えてきます。
ここから十数キロメートルは、南北に長い巨大な谷間にある仁科盆地と3つの湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)の畔を往く旅となります。
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青木湖西岸の山麓にある集落
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地形から見ると、木崎湖北岸の海ノ口で塩の道は東西に分かれるようです。古くから美麻・小川方面と連絡する道があったようです。
しかし、塩の道脇街道の痕跡はすっかり消え去っています。木崎湖東岸山裾の集落を歩きながら、往古の面影を探します。
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機材湖東岸 稲尾集落の古民家
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木崎湖南西岸に位置する森城址から借馬まで、千国街道の痕跡を求めて歩きます。借馬は大町市街の手前にある集落です。
昭和期の耕地整理で地形は大きく変わってしまいましたが、そこには、祈りの道としての往古の街道の面影がわずかに残っています。
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針葉樹の森陰で稲荷社の傍らを往く街道
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大町市街の東方、東山山麓を往く塩の道。市街と高瀬川を見おろす段丘上にあるのどかな小径です。
市街の背後に迫る北アルプスを遠望しながら、ゆっくり歩きましょう。
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晩秋のリンゴ畑脇を往く塩の道
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鬱蒼とした山林に囲まれた古い寺院を訪ねてみましょう。きっと心が洗われます。
晩秋、美しい紅葉・黄葉に取り巻かれた霊松寺。森閑とした時間が流れていきます。 |
錦繡に取り巻かれる霊松寺楼門
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東山山麓には古代から集落があったそうです。歴史の古い寺院や神社もいくつもあります。
古くから人びとは暴れ川高瀬川の脅威から遠い山麓段丘上に集落と耕作地を拓いてきました。
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古い歴史の寺社と集落が連なる塩の道
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往古には盛蓮寺は山中にあって七堂伽藍を擁した大寺院だったようです。
この地の領主、仁科盛遠が木曾義仲の霊を弔うためにこの地に移し、以後、仁科家の祈願寺としたのだとか。 |
鎌倉時代にこの地に移された盛蓮寺
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平安時代晩期に伊勢神宮所領である仁科御厨を鎮守するために、領主仁科氏が創建したのが仁科神明宮です。
その後1000年以上にわたって式年遷宮の儀式を継続してきたそうです。明治以前位は神仏習合で大きな寺院もあったのだとか。 |
仁科神明宮の拝殿
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- 木曾地方の中山道と宿駅をめぐる。
- 街道と宿駅の歴史と文化を探索する。
- 江戸時代の街道制度を学ぶ。
- 塩尻宿を出発し下諏訪、和田峠、和田宿…と東に旅する。
- 小谷村から白馬村、大町へ街道をたどる。
- 街道沿いの名所を訪ねる。
- 北国街道海野宿をめぐる。
- 田中宿や上田宿、小諸宿を訪ねる。
- 北国街道西脇往還(善光寺街道)をめぐる。
- 松本宿、郷原宿、麻績宿を訪ねる。
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