▲青木湖畔の斜面に立つ観音像
▲さざ波だった湖面に薄日が差し込む
千国街道の旅は、糸魚川静岡構造線という大地溝に沿って往く旅です。小谷村千国でも姫川の大峡谷を見おろすたびに、南北にはしる巨大な大地の亀裂がもつ威容を感じました。が、ここ仁科高原でも盆地の底にある湖水に東西両側から山並みが迫っています。地球のダイナミズムが印象的です。
仁科三湖は、急峻な山並みに挟まれた谷間の窪地に膨大な水が流れ込み溜まることで形成されています。湖面が平面をつくっていますが、水面の下には急峻な谷間が底まで続いているのです。
湖の西側の山並みは急峻で、かつてはこの斜面を下る大量の水が浸食と堆積をおこなって西岸の扇状地形を形成したものと見られます。それに比べると、東岸の斜面の勾配の方がゆるやかです。しかし、ここでも往古、斜面を下る流水が浸食と堆積によって東岸の扇状地を形成したのでしょう。
湖の水位は時代によって大きく変化してきたそうです。したがって、青木集落を通る街道もまた湖の水位の変化に応じて上下してきたというわけです。
さて、街道旅は、佐野坂峠の小径脇に立つ石仏群に別れを告げて、湖岸の青木集落に降りていくことになります。青木湖の周囲は平と呼ばれる(大字)地籍で、西岸の小さな集落が青木です。
▲青木の集落と千国街道
▲湖畔の青木集落を往く千国街道
青木湖の西岸の湖岸線のうち北から3分の2は山尾根が湖に沈み込んでいる急斜面となっています。集落は西岸の南端にある扇状地にあります。
集落がある湖畔の山裾斜面の奥に水神社があります。往古、その鳥居の周りから村の開拓が始まったのでしょう。その頃には、青木期の水位は今よりもずっと高かったので、山裾から農耕地の開墾と集落の建設が始まったということでしょう。
神社が位置する標高――湖面からの標高差60メートル――の辺りが山腹斜面と山裾との境界で、杉林が植林される前は、茅場と落葉広葉樹の雑木林が広がっていたはずです。杉の植林は、1960~70年代(昭和30年代)に農林省の政策にしたがって進められたのです。
▲段丘上にある古民家
▲鬱蒼たる杉の森に囲まれた水神社
青木湖の水位は年間を通じて季節ごとに変動します。春の半ばには、雪解け水がたまる頃には農具川水門を開けて下流の水田地帯に農業用水を供給するので水位が下がります。そして夏から秋にかけては、水力発電のために鹿島槍ケ岳山系の沢から取水するので、水位は下がったままです。
青木集落の南端近くの緩やかな湖畔の段丘斜面――湖水面から20メートルほど上ったところ――に堂崎観音堂があります。湖岸線からおよそ170メートル離れています。観音堂は幕末まで集落の北、湖に突き出た岬にあったそうです。さらに古くは、尾根の中腹にあったとも伝えられています。
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