30年ほど前には、この村にスキー場がありました。今では跡地の斜面の草原が、過ぎ去ったスキーブームの痕跡となっています。
ところが、この起伏の少ない比較的に滑らかな広大な斜面は、往時は茅場だったそうです。この村落のすべての家屋が茅葺だった時代、屋根を葺く材料となる茅を村人が共同で育成し、刈り取り、乾燥させる野原がありました。それが茅場です。
▲天満宮の近くの草原に咲くノジギク
茅とは、イネ科植物のススキ・ヨシ・チガヤ・カルカヤ、オギとかカヤツリグサ科植物のスゲなど、成長すると高さが2メートルを超えるような草類の総称です。まあ、丈の長いススキということです。秋に一面の茅の穂が風になびき輝く風景は美しいものです。
とはいえ、斜度が10°もある尾根斜面で茅を刈り、集めて束ねて乾燥させる作業は重労働です。乾燥させた茅は、村人総出で、小さな束にして集落に運び、急勾配の屋根に葺き込み、きれいに刈り揃えて、通気性と断熱効果抜群の屋根をつくりました。日本の里人は、少なくとも900年以上にわたって、茅を育てて茅葺屋根の材料として家屋を造営してきました。
そのような村人が集まり共同作業する茅場の丘の北の端に、茅場を見守るように南面する社殿と鳥居。古い記録よれば、室町末期の15世紀末頃(文明年間、1486年)、北野天満宮またはその前身となる神社が創建され、以来、村を鎮護する社となってきたそうです。
▲境内東端の手水舎
▲こじんまり端正な本殿(慶応2年:1866年の建立)
▲本殿の内陣は修復され、美しく保たれてている
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