|
白馬村には、約6000年ほど昔(縄文時代前期末)から人びとが暮らした歴史があるそうです。
白馬山系から産出する滑石やヒスイはが日本各地に運ばれて装飾品の玉類に加工され、人びとは身体を玉類で装飾する風習を生み出しました。さらに蛇紋岩は広く石斧の材料として使用されたようです。遠隔地との交易交換の始原となる財宝ともいうべき鉱物が算出した当地は、日本でも独特の文化の拠点となったともいえます。
▲神城地区の田園風景:背景は左から遠見山の尾根、八方尾根、その奥に栂池高原
▲森上地区、岩岳スキー場入り口付近 春の風景
弥生時代以降には、南部の湿地帯(神城地区)を取りまく段丘上に稲作の集落群が勃興し、やがて古墳時代にはこれら集落の支配者たちがこぞって墳墓を築いたとか。今では、有数の古墳地帯となっています。千国道と呼ばれる古い街道は遥かな縄文時代にその姿を現し始めていたといいます。
千国街道沿いの塩島集落から姫川を渡って山道をのぼり、青鬼集落まで歩きます。踝を接する車道鉄橋と鉄道鉄橋の真下で姫川の滝が流れ落ちています。その手前にダム湖があり、古い吊り橋の遺構も残っています。これは、歴史を遡る旅でもあります。 |
大糸線第一姫川鉄橋の古い橋脚遺構
|
⇒記事を見る |
青鬼集落には16棟の茅葺古民家が保存されています。しかし、過疎化が極端に進んで、今では冬場も含めて常時居住しているのは4世帯だけになったそうです。
古民家群をめぐりその美しさを楽しみながら、この村の歴史を探索します。
|
独特の造りの茅葺古民家群
|
⇒記事を見る |
小谷、白馬、戸隠、鬼無里など善光寺から見て西にある山間部には古くから鬼の伝説があります。この地方では、村人を助ける「善鬼」が祀られ神社の起源となったのだとか。
9世紀はじめの縁起が伝えられる青鬼神社と集落の背後の棚田地帯をめぐります。
|
南西向きの斜面に続く棚田
|
⇒記事を見る |
青鬼集落と尾根を挟んで反対側、姫川河畔の山腹高台にある5軒ほどの小さな通集落。ここにも茅葺屋根の古民家が残されています。
深い谷の縁に位置する美しい村を訪ねます。
|
通集落の茅葺古民家
|
⇒記事を見る |
青鬼集落と谷と尾根を挟んで南に隣接する野平集落。400~500年くらい前に、東側の山岳地帯から住民たちが降りてきて村落と農耕地を開拓したそうです。
西に開けた広い谷間からは白馬連峰を一望できる美しい村です。
|
野平集落の茅葺古民家
|
⇒記事を見る |
姫川河畔にある大出の集落は、西に白馬連峰を望む河岸段丘上の田園地帯にあります。姫川が削った深い谷には吊り橋が架けられています。
豊富な水に恵まれた集落には古民家や古い観音堂があって、訪れる人に「日本の村里の原風景」を見せています。
|
大出集落の茅葺古民家
|
⇒記事を見る |
千国の里から松沢の峡谷を越えて落久保から切久保まで歩きます。切久保には平安時代から集落と神社があったそうです。
岩岳スキー場の麓の村の家並みと神社を訪ねます。
|
切久保神社 壇上の拝殿と大杉
|
⇒記事を見る |
塩島新田は、松本藩が千国街道を開削したさいに計画して建設した宿場集落です。街道の中ほどに宿場用水と並木植栽を設けて美しい景観をつくるというその構想は、今でも保たれています。
茅葺き古民家が肩を寄せ合っている美しい農村風景を探ります。
|
茅葺古民家の宿泊施設
|
⇒記事を見る |
塩島新田集落から1キロメートルほど北西の森のなかにある観音原という不思議な野原。そこには187体の石仏が長方形の草原を取り囲んでいます。
往時の白馬村を想起させる深い森を歩いて、人びとの素朴な信仰のよりどころを訪ねます。
|
観音原と呼ばれる野原に並ぶ石仏群
|
⇒記事を見る |
塩島は、古くは中世の山城の城下街として集落が形成されたそうです。塩島新田集落が建設されるまでは、小谷から飯森方面に塩を運ぶ中継地でした。
城下街なきあとに形成された塩島の閑寂な村落をめぐります。
|
杉の防風林に守られた古民家
|
⇒記事を見る |
塩島村から森上を経て松川と平川を越えると飯森宿にいたります。道筋にはいくつも神社や寺院、石仏群があって、まさに「祈りの道」です。
白馬別荘地を過ぎると飯森神社の鎮守の杜、その先に飯森集落があります。村の西に迫る山には戦国期の城跡があって、麓は城下街だったのです。
|
飯森宿のランドマーク、十王堂
|
⇒記事を見る |
飯森と飯田はそれぞれ間の宿として2つで1つの宿場の役割を分担していました。
飯田集落をめぐって往時の街道の面影を探します。街道沿いには石仏群があって、祈りの道としての姿を今にとどめています。
|
塩の道沿いの茅葺古民家
|
⇒記事を見る |
沢渡には、古い時代には仁科家の分家、沢渡氏の砦または館があって、その周りの集落が村の起源となったようです。
山麓を通っていた千国街道の遺構に沿って、ところどころに石仏群があります。塩の道は祈りの道でもあったのです。
|
花と紅葉の名所、古刹貞麟寺
|
⇒記事を見る |
白馬村の最南端にある千国街道の宿場が佐野です。その昔は佐野坂峠の手前の街道要衝だったそうです。
この集落には、家門ごとに祖先と守護神を祀る氏神社やお堂が今でもいくつか残っています。
|
佐野の街道沿いに残る古民家
|
⇒記事を見る |
佐野集落の東、佐野坂峠の麓には森に覆われた湿原地帯が広がっています。
また、姫川源流部をなす湿原もあります。湿地草原や深い樹林をめぐって自然観察を楽しみましょう。
|
山林に囲まれた湿原:冬枯れの葦原
|
⇒記事を見る |
佐野坂峠を南の超えると仁科高原の湖、青木湖の畔に出ます。峠道はおよそ2キロメートルほどの歩きやすい遊歩コースになってます。
道沿いの山林には1丁ごとに33体の観音像(石仏)が置かれていて、祈りの道の風情を味わえます。
|
巨木の根方に静謐にたたずむ観音像
|
⇒記事を見る |
|
|
- 信州を通る諸街道を知る
- 中山道、北国街道、甲州街道など
- 中山道洗馬宿から善光寺まで
- 街道の宿駅を一覧できる
|
木曾路・奈良井宿を特集
- 木曽路、奈良井の歴史散歩
- 街並み景観見て歩き
- フォトギャラリー など
|
|