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長野県北安曇郡小谷村
栂池高原歩き

  千国郷牛方宿を過ぎると、栂池高原にさしかかります。前山と呼ばれる低い山裾を南西に向かって1キロメートルほど歩くと、前山百体観音(石仏群)が並ぶ場所にいたります。そこは栂池高原スキー場の東の外れに位置しています。


▲栂池高原スキー場の集落: 背後の残雪の山岳は白馬連峰


▲千国前山の森陰を往く塩の道。あと数百メートル進むと百体観音。

  百体観音と呼ばれる石仏群は、前山の裾の雑木林のなかにあって、西に開けた高原の斜面が広がり、白馬乗鞍岳の峰に向かって続いています。山林が切り開かれた草原がスキー場のコースです。
  さて、塩の道は路傍の各所で石仏や祠に出会い合掌する機会も多くなります。さながら祈りの道ともいえるでしょう。


▲前山百体観音:今でも80体ほどの石造りの観音像が立っている

■山中の森陰を往く■

◆鬱蒼たる森と木漏れ日◆

  塩の道は、牛方宿を過ぎて舗装道路から左に分かれて山裾の森のなかに入っていきます。前山の鬱蒼たる森の北の端を南西に向かって歩きます。
  幅1.5メートルほどのよく均された歩きやすい小径で、小径の北側は湿原になっているようです。栂池高原から流れ出てくる水が前山の裾に溜まって湿地を形成しているようです。


▲タニウツギの花の彼方に杓子岳が見える

▲木漏れ日を浴びる石仏群

  私は左側には深い森の冷気を感じ、右側から初夏の木漏れ日を浴びながら、そして栂池高原の背景に白馬連峰の残雪を眺めながら、快適な遊歩を続けました。

◆前山百体観音◆

  この森陰の小径の南西端に前山百体観音と呼ばれる石仏群があります。山裾に石仏群が並んでいます。江戸時代には、まさに鬱蒼とした森の真ん中にあったのでしょう。今は前山の西側は切り開かれ、栂池高原スキー場の東の端にあって、西に草原斜面が開けた場所です。
  説明板によると、造立年代は不明ですが、西国、秩父、坂東の霊場・札所の観音像を集めて百体をこの場所に集めたものだとか。札所めぐりの風習は江戸時代後期から普及したそうなので、19世紀半ばまでに石仏群が安置されたものではないかと思います。塩の道は祈りの道ともなっていたのです。
  松沢荘のお婆さんの話によれば、千国の集落の人びとは昔から観音信仰に厚く、各戸で観音像石仏をつくって保有し、百体観音像のある場所に奉納安置し、傷んだり古くなった石仏と取り換えたのだそうです。その風習は昭和40年代まで続いていたのだとか。

  ところで、千国街道はスキー場集落の南端で県道433号と交差したところで痕跡が消えてしまいました。このあと、この辺りを探索して、この先、松沢峡谷に下る街道の痕跡を見つけようと思います。


ふと来し方を振り返れば

樹間から陽射しが漏れてくるところもある

森の出口が見えてきた

栂池高原の前山裾野に並ぶ観音石仏群

2列で、ざっと80体はある

観音像の手前の石の上には弘法像が立つ

石仏群から栂池高原スキー場を望む

塩の道上 百体観音を振り返る。右斜面は前山スキー場跡。

右端の白馬連峰から蓮華岳まで見渡せる高原。左端の小径が塩の道。

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