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旧八幡宿は、千曲川河畔を遠望する丘陵に位置しています。
街並みは長く、かつての繁栄ぶりの今世紀を今にとどめています。昭和期の経済成長で変わった街並みのなかに街道宿駅の痕跡を探ります。
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旧八幡宿の街並みは丘陵にある
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旧八幡宿の中心部だった中町から八幡社の前まで歩いて、往古の痕跡を探索します。
宿場の中心だったので、町役人(本陣、脇本陣、問屋など)の屋敷が集まっていました。残念ながら、往時の敷地割りはほとんど残っていません。
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昭和前期の面影が残っている家並み
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最初期の中山道は御牧原台地の麓の桑山村を通っていたそうですが、その後、浅科下原主落を往く道筋になりました。
17世紀半ば、五郎兵衛用水の整備にともなってできた集落です。
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家並みのなかに水神社と思しき塚がある
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御馬寄は塩名田宿の手前、千曲川西岸の急斜面に位置しています。難所である千曲川の川越えのためにできた小さな集落で、塩名田を補佐する役目を担ながら、商業が著しく繁栄しました。
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御馬寄の大通り沿いに残る商家古民家
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中山道の難所の多くは峠越えの高原山岳でしたが、千曲川の渡河もなかなかに危険をともないました。そこで幕府は、佐久平の千曲川東岸に塩名田宿を設けて、準備や待機の拠点とし、旅と輸送の安全をはかりました。
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塩名田宿の本陣と高札場の跡
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塩名田から2キロメートルほど北に耳取集落があります。そこには古い城下街の遺構があります。
佐久の豪族、大井氏の一族が鎌倉時代から統治する城砦と集落があって、玄江院は城館跡の南端の廓の遺構の上にある禅刹です。 |
城館跡にある玄江院の重厚な楼門
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塩名田宿の東端に立つ道祖神から中山道を西に歩いて、丘をのぼる駒形坂まで歩きます。この坂は丘陵台地の西端で、段丘崖の突端にある駒形神社は砦の跡とも見られています。
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中山道と谷を挟んだ段丘崖の駒形神社石段
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駒形神社の前で県道から分かれて丘をのぼっていく小径が旧中山道で、街道沿いの集落が下塚原です。私たちは集落をめぐり、周囲の水田地帯に点在する謎の小丘を探索し、古代に創建された妙楽寺を訪ねます。
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下塚原集落の昭和前期の広壮な民家
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