明治時代になると、江戸時代の旧街道は、馬車や荷車が安全に通るように整備され、屈曲や起伏が激しい道を迂回する新しい街道が建設されました。野尻宿の街並みを抜けてきた中山道は、下在郷の一里塚の辺りから阿寺渓谷入り口辺りまで、ひとつ上の段丘を往く直線的な経路の「新中山道」に置き換えられました。現在の県道261号です。
この県道は昭和中期に拡幅され、今は幅4メートル近い道幅になっています。明治後期頃から昭和中期まで、この新しい中山道沿いに住戸が並び、家並みができあがりました。今回は、そこを歩いてみます。
県道沿いの家並みもまばらで敷地はゆったりしている
道路と家屋との間に広い庭はない
現在の県道261号沿いにつくられた家並みは、野尻宿のような宿駅の都市的な――密集した家並みの――集落ではなく、下在郷という郊外農村部の家並みとなっています。したがって、各住戸の敷地の形つまり敷地割は、宿場のなかのように稠密ではありません。
間口が狭く奥行きが深い短冊型ではありません。街道に面した間口(敷地の幅)は大きくゆったりしています。
とはいえ、城山から木曾川に下っていく城山尾根斜面の段丘上に造成された敷地なので、奥行きは浅いので、家屋と道路との間に広い前庭はありません。概して木曾谷の集落は狭い谷間にあって平坦地がわずかなので、各住戸の庭の面積がきわめて小さいか、あるいは庭がほとんどないという特徴がきわだっています。ただでさえ限られた敷地を庭に回すことができないということなのでしょう。
耕作地はというと、城山の山裾から木曾川へと続く斜面には段々畑や棚田が連なっています。斜面の傾斜がきついので、田畑の形は等高線に沿って細長い帯状になっています。
田畑が山麓斜面に拓かれていて、ところどころにある平坦地が狭いので、せいぜい数軒の家屋の集まりが小径沿いに分散しています。中山道はそういう分散的な集落のなかを通っています。
そういう地形条件のため、旧中山道とは別に県道261号が建設されると、県道沿いに家並みがつくられますが、それもやはり分散的で大きな集落には成長しませんでした。
この先の谷間を蛇抜け沢が流れている
県道沿いの家並みはまばら
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