▲長谷寺浦に広がる鬱蒼たる山林: ここに古い城下街があったか
往時、飯森村はその南西に隣接する小村、飯田と合わせて一つの宿場街をなしていたそうです。ともに小さな集落だったからです。飯田集落は、遠見山の直下で、今はすっかりスキーリゾート地に変わってしまっています。宿場街の面影をまだしも残しているのは飯森です。
▲寺号(堂号)はどこにもない
▲十王堂の辻から西の様子
▲十王堂の姿
飯森は、中世晩期の城下町の跡に形成された集落です。村落の西端の山麓に長国寺がありますが、その西側、今は鬱蒼たる森林になっています。飯森城主の家臣団の屋敷からなる城下街は、おそらくそこから飯田村にかけての丘陵地にあったのではないでしょうか。
江戸時代になってから千国街道が開削され始めた頃、この地でも本格的に村落と水田の開拓が進められたと思われます。その頃には、長谷寺の裏手の森林(その当時は落葉広葉樹とアカマツからなる雑木林だった)は、飯森城直下の城下街の遺構を覆っていたかもしれません。「つわものどもが夢の跡」として。
したがって、現在の飯森の集落を歩いて探っても、戦国時代の城下街の痕跡はどこにも見出せません。とはいえ、スキーリゾート地の麓にある、牧歌的で端正な農村風景を楽しむことができます。
▲茅葺古民家の基本構造が残る家屋
▲洒落たリゾート地の趣き
▲煙抜き小屋根を残して改修したらしい民宿
▲一対のイチイの木が郷愁を誘う
飯森でまず目につくのは、温泉施設「十王堂の湯」です。かなり規模の大きな温泉施設で、遠方からも客がやって来るようです。その施設の名前のもとになった十王堂は、村落の中央部びあります。その傍らに、概略こんな説明立札があります。
――死者の魂が往く冥土には、閻魔など10人の王がいて死者の生前の罪業を裁き、その後に魂は安住の場を得る。その住人の王を祀った堂が十王堂だ、と。
そのほかにも、畑のなかに小さなお堂が残されていますが、屋根の「卍」のほかには号を記すものもありません。
集落を歩いてみての印象として、蕎麦店を除くと茅葺屋根の古民家は1棟しか残されていないのですが、しかし屋根てっぺんの煙抜き小屋根など古民家の造りを残した構造になっていて、茅葺屋根を勾配に緩やかな金属板屋根に改修した民家が多いということです。
その結果、和風の雅趣が感じられるこ洒落た建物が、牧歌的な農村風景を醸し出しているのです。
▲これは集落南端の蕎麦店の茅葺古民家
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