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赤沼の分岐: 向かって左側の道(旧街道)を進むことにした
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写真右手には古民家があったらしいが、水害後の今はない
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丹精した庭園と腰板白壁土蔵が赤沼の典型的な家並み風景
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左手は修復後の土蔵: 松代道の東側からの眺め
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旧街道から東側に妙願寺の堂宇を眺める
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奥手右の樹林は太田神社の鎮守の杜
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大田神社裏手から街道(南方)を振り返る(左手が神社、右端が社務所神官宅)
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浅慶院前の街道沿いの景観: この左手奥に浅慶院がある
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最近修改築したと思しき広壮な和風住宅
■本来の街道の道筋■
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■旧街道沿いの家並み■
津野の集落を出て北に歩くと、まもなく赤沼の三叉路にいたります。向かって左の道が北国街道松代道で、右が赤沼公園や伊勢社に向かう道です。私は、ひとまず左手の旧街道を歩いて、妙願寺の前の分岐を大田神社、赤沼交差点方面に進むことにします。旧街道沿いの家並みを一瞥したのち、赤沼分家居館跡の界隈の家並みを見て回ります。
旧街道沿いには、ランドマークとしては南から赤沼分家居館跡(延命地蔵尊)、妙願寺、大田神社と社務所兼神官宅、浅慶院があります。この区間の終点は国道18号と交わる赤沼交差点です。
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板塀と美しい庭園だけが残された敷地▲
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みごとな庭石と石灯籠だけが残っている敷地▲
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更地にはかつて何があったのか知りたい
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広大な敷地が更地になっている▲
数年前までは、旧街道沿いに古民家の家並みが続いていたのですが、今では、先年の水害で壊れたため、公費解体で撤去されたために敷地が空き地になったところが何か所もあります。美しい庭園の植栽や庭石だけが痕跡として残っている屋敷跡も目立ちます。
更地となった屋敷跡の敷地の広さや植栽や庭石のみごとさからして、どれほど広壮な古民家や土蔵があったのか。それを想像すると、私たちは歴史遺産や文化財としての家並みを失ったのだと、いみじみ哀惜の念というか無常観がこみ上げてきます。
グーグルマップの航空写真版は4年以上前のものなので、上空から洪水以前の集落の姿を確かめることができます。そして、航空写真にはある家屋のあるものは現在見ることができません。
とはいえ、昭和期に建築された重厚な造りの和風の住宅と土蔵は、壁や窓を破壊されたものの家屋の構造は保持できたので、修復・修築され、家並み景観として復元しつつあります。
長沼は幕府の天領(幕府直轄領)だったため、住民の年貢負担率が比較的に軽かったようです。そのため、農民たちの手許に余剰生産物のより多くが蓄えとして残ったのでしょう。その結果、ほかの地域よりも大きな構えの家屋や土蔵をつくることができたものと見られます。そういう伝統は明治以降、昭和期まで引き継がれててきたようです。
家屋の規模が大きい――長沼の住民はそれが普通のことと感じている――というのは長沼全体に共通の傾向ですが、赤沼地区ではその特徴がことのほか際立っています。
規模が大きいだけでなく、建築様式としての造りも堅固で手がかけられています。つまり、そのように建築費がかさむ「贅沢な造り」になっていて、それがこの集落の住民には当たり前の慣習となっているのです。
水害の前にここに来たかった、来るべきだったと悔やんでいます。それでも、今でも信州の懐かしい集落景観として充分に記録する価値があります。
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画面中央の土蔵の向こうが赤沼交差点▲
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三叉路の向かって右の道が本来の北国街道松代道
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修復が終わったばかりの白壁が続く
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昭和期の旧街道沿い風景が残っている
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立て込んだ家並みの右手(東側)には菜園が残っている
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この先で国道18号となり、道筋は絶たれてしまう |
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県道368号: 少し先に三叉路が見える▲
北に歩くと大田神社の先で三叉路に出ますが、県道368号から分岐していく右側の小路が本来の街道(松代道)です。この通りの方が家屋がやや立て込んでいる感じがします。道幅の狭さが、旧街道の面影を呼び起こしてくれるようです。
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来た道を振り返ってみると、古い街道の趣きが…▲
三叉路の分岐の間には、古い建物があったようですが、水害で壊れて撤去されてしまいました。今は砂礫を敷き詰めた空き地になっています。
その先には白壁の土蔵や作業屋、住宅が小径を挟んで並んでいます。それらも洪水の被害にあったようです。今は修復されたばかりで、輝くような白い壁となっています。
さらに進むと、家並みの間に菜園のような小さな畑作地があります。四つ辻を抜けて北に進むと、家並みが国道18号によって途切れ、そこで旧街道は絶たれてしまいました。
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同じ場所を逆方向から眺めてみる▲
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壊れっ撤去された古民家があったらしい空き地(草地)▲
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