▲茅葺造りの古い造りの社殿(出典:『長沼村史』)
▲改題の杉の樹林は植えてから60くらいか
1642年(寛永年間)、長沼城主、佐久間蔵人守勝友の次男、長助勝興が赤沼村に3000石を分封されて分家を立てました――赤沼分家と呼ばれています。赤沼分家は幕府の旗本となりました。
その勝興が創建したと伝えられています。祭神の大日孁貴(おおひるめのむなち)は、天照大神の別名だそうです。 しかし、そのほかの由緒や歴史は不明です。
伊勢社の辺りは、その昔、大割と呼ばれる地籍だったそうです。おそらく、佐久間氏の赤沼分家がつくられた頃(17世紀半ば)に、この一帯の集落が本格的に開拓され始めたのではないでしょうか。
分家を興して幕府旗本となった佐久間勝興は、この地の開拓を奨励指導し、赤沼領地の東端にある新開地の集落の繁栄を祈念して伊勢社を勧請し開創したものでしょう。
▲伊勢社の鎮守の杜を東側の果樹園から眺める
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