▲一対の常夜灯が境内入り口を示す
観海寺は浄土真宗の寺院です。本来は、栗田町の西厳寺の末寺なのだそうです。
寺伝では、その昔、おそらく西厳寺の僧だったであろう観海という僧が創立して観海寮と呼んでいたそうです。ということは、大寺院である西厳寺の修行場だったのではないでしょうか。小さな阿弥陀堂と宿坊だけがあるような。
私の想像では、室町末期辺りに赤沼の東の辺境の開拓と集落建設が進んだときに、西厳寺が門徒の開拓農民を支援し布教するために、若い僧たちの修行場として観海寮を設けたのではないかと見ています。
やがて衰微しますが、1828年(文政年間)、同じ浄土真宗の妙願寺の僧、順導がこの寺を再興したということです。このとき、現在地から2キロメートルほど北にあった浅野の正見寺の修行僧、青柳慈教を招いて住持としたそうです。そこから「楊柳軒」という風変わりな山号がついたのではないでしょうか。
寺の本尊の阿弥陀如来は、江戸の芝増上寺の支院、清光寺を開基した潮瑞が赤沼の十王堂に寄進したもので、後に観海寺に移したのだそうです。
ところで、2019年の大水害で寺の堂宇は破壊されてしまいました。その後、現代風の小さなお堂が新築されました。
観海寺という寺号の由来としては、反乱のさいにあたかも海原をみるような光景が広がったことから名づけられたという伝説もあります。
▲木製の長い塀が果樹園と境内とを仕切る
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芝生の境内: 樹木の背後に本堂がある
小路に面して並ぶ六地蔵
一般住宅風の造りの本堂: 背後に広大な各園地帯が広がる
赤沼公園の芝生の向こうに観海寺が見える |