西厳寺の西隣が証各寺のはずですが、この寺は水害の後で現代風の建物に改築したため、取材のさい私は寺だとはわからずに通り過ぎてしまいました。たしかに仏法は精神的な内容こそ重要ですから、建物という「物質的なものとしての形」はさしたるものではないのかもしれません。
たしかに證各寺の境内には、一般の住宅としては大きすぎる印象の建物がたっています。法要や各種の行事のために庫裏や催事堂宇が必要となるのですから。伝統的な造りの寺院(宮大工)建築には、きわめて費用と手間・時間を要するという理由もあるかもしれません。
しかし私は、外見上の形状にこだわって寺院を探索しているので、どうしても伝統的な寺院建築の形を追いかけてしまいます。それで見逃がしてしまいました。
さて、渡辺山證各寺を開創は1300年(正安年間)で、開山の祖は真順という僧ですが、この人もまたまた下総飯野城主、平正晴の家臣で、俗名を渡辺重兵衛政成という武士だったのだとか。おそらく主君の政晴――得度して空晴という僧になり真言密教を修めたが、やがて親鸞に出会って浄土真宗に改宗――の影響で得度したものと思われます。
14世紀半ばに、戦乱の下総から長沼に西厳寺が移るときに、真順も同道して長沼で西厳寺の塔頭として西厳寺の寺領――現在の境内とは別の場所――に證各寺を興したものと見られます。その後、1742年(寛保年間)の洪水で堂宇を失ったために、現在地に移ったということです。
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これが新しい証各寺の本堂と庫裏
東隣には西厳寺の本堂と鐘楼が並んでいる
建物が非常に大きいので、一般の住宅ではないという印象ではある
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