▲参詣者を迎える小堂
東光山浅慶院は、曹洞宗の禅寺です。現在の堂宇は、1901年(明治34年)に火災で焼失した後に、飯綱町芋川にあった分教場を移設改造したものだということです。
寺の本尊は薬師瑠璃光如来だそうです。
伝説では、この如来像は、古くは四国讃岐の寒村にあった小庵に置かれていたものだそうです。享保年間、深瀬家の先祖で、長秀院で得度した了雲という僧が回国修行のおりに四国讃岐で山中の小川から発見して持ち帰ったといいます。その如来像は、その33年前に小庵が火事にあって焼失し水中に没していたものだとか。
上記の伝説にあるように、この寺は、もとは大田八幡宮の近隣領地にあった薬師堂が前身だと思われます。そこには、豊野石村の長秀院の2世、角応がそこに隠遁して住まいとしたそうです。。
しかしその後、寛保2年の千曲川氾濫で流失。1787年、長秀院の修行善僧一燈和尚が堂宇を再建して、現寺号に改めて開基としたそうです。
古い薬師堂は、さらに昔(平安後期)、真言か天台の密教寺院の支院または末寺だったかもしれません。というのは、密教修行僧や学僧は現生利益の思想のもとで、農村の開拓を支援しながら民衆に施療し、その拠点が薬師堂だった倍が多いからです。
▲分教場はさらに昔、寺の堂宇だったか
▲この小堂は薬師堂の名残りか
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小堂前から参道を振り返る
六地蔵はそれぞれ姿が違う。これは長沼の寺院の特徴かも。
本堂の寄棟屋根は、茅葺から修築したものだろうか
隣接するこの古い建物は院の居住棟・庫裏だろうか
旧街道から畑越しに浅慶院本堂を眺める |