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▲ありし日の古い社殿(出典:『長沼村史』)
平安時代、醍醐天皇の治世で藤原時平がそれまでの律令制をめぐる諸法令規範格式を編纂し、その後、10世紀はじめ(延喜年間)にその法令格式集に各地の地誌(寺社や都邑、伝駅、貢租・税)を織り込んだ資料集として『延喜式』50巻を制式化しました。支配者としての大和王権がその権力と権威の正統化のために編纂した資料なので、寺社に関して言えば、どれを収録記載するかは統治のための政治的選別があったと見られます。
そこには、長沼の守田神社も記載されているそうです。守田神社としての採録には、七二会の守田神社と競争があったとも伝えられています。
守田とは本来「守太田」と記され、大和王権に親近の豪族の荘園公領を鎮護する神社という意味があったようです。七二会の神社との争いを制して長沼の神社が『延喜式』に記載されたのは、やはりここに藤原宗家の荘園「太田庄」があったからではないでしょうか。
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▲古い社殿を偲びながら参拝する
平安時代には千曲川は、現在の流路よりも1キロメートル近く東側を流れていたと推定されます。そこで、守田神社は往古には現在地から数百メートル東(ないし東北東)の位置にあったと見られ、武田家が築いた長沼城の鬼門とされていたとも伝えられています。
ところが1615年(元和元年)、洪水によって社殿などがことごとく流失してしまいます。おりしも翌年、江戸幕府の命によって佐久間家が長沼城主に着任します。佐久間家は縄張りを再編して城郭を改修築し、そのさいに17世紀半ば(正保年間)に城の二ノ丸北側に神社を映して再建しました。
この移転に先立って、長沼城代官、大久保長安――そのときは、やがて失脚する松平忠輝(家康の六男)の家臣――が社領境内地を寄進したとも伝えられています。
その頃には、日吉山王大社を合祀して日吉山王社と呼ばれていたそうです。やがて1818年(文政年間)、社号は本来の守田神社に戻りました。主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と「大山咋神」(おおやまくいのかみ)だということです。
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▲修復された堤防から境内を見おろす
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再建された社殿: 美しい造りで真新しい
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境内のケヤキの老巨樹は洪水に堪えて力強き生き残っている
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社伝の背後には、これまた破壊の跡が生々しい体育館
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修復された堤防の下から境内と社殿を眺める
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境内も果樹園も洪水で破壊され、今は更地状態になっている
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小さな新しい社殿を見守るようなケヤキの老巨樹群
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