■塩尻以東の中山道■
須原から上松までは鉄道線路と国道の建設で旧街道の遺構や痕跡はほとんど失われとぃます。 鉄道と国道に沿って遊歩道などを歩きながら、古い街道の痕跡を探ります。 ⇒上郷の神明社と大杉を訪ねる ⇒旧中山道の痕跡を探索する
旧中山道の跡を探りながら、上松から池の尻集落まで歩きます。池の尻は木曾川が蛇行して造った、谷底の氾濫原です。 往古には大きな池があって、その畔の村なので、池の尻という地名となったそうです。懐かしい造りの古民家の家並みが残っています。 ⇒池の尻の釈迦堂跡を探る
倉本の中心集落は、熊野十二社権現を取り囲むように家が並んでいます。紀伊熊野から勧請した山岳信仰の拠点として発達した村だったと見られます。 かくも険しい地形のなかに古代から修験のために村が開かれた痕跡を探ります。 ⇒熊野十二社権現を訪ねる ⇒馬頭観音堂を訪ねる
国道19号から西に分岐する野道を下り、上り返すと立町の集落にいたります。家並みには木曾に特有の古民家が残っていて、対岸に渡る古い吊り橋も残っています。 幕末から昭和中期までの中山道の面影を偲ぶことができます。
室町前期に領主、真壁氏によって本格的に開拓が進められたと見られる古い歴史をもつ集落です。 真壁氏の統治の拠点となった城下町のひとつであったと見られ、鹿嶋社・香取社の門前町としても栄えていたようです。 ⇒鹿嶋社・香取社を探訪する ⇒東野の阿弥陀堂を訪ねる
寝覚は上松宿の近隣に位置していますが、滑川越えの難所の手前ということで、立場茶屋が設けられ、17世紀前半から集落づくりが始まりました。 明治時代に改修された旧街道の面影が、現在の国道19号から外れたために、数多く残っています。町家古民家も保存されている家並みを観察します。 ⇒寝覚ノ床を訪ねる
上松宿はいく度も火災を経験し、とくに1950年の大火で街の歴史に関する史料・文物が失われてしまいました。 それでも地形や宿場の遺構を探索したところ、江戸時代に上松の中山道の道筋と宿場街の形に大きな変化があった痕跡が見つかりました。 ⇒中山道と上松宿の歴史的変遷
右の写真は木曾の桟の遺構ではありません。江戸時代に川幅が最少の箇所に架橋するために構築した護岸石垣の遺構です。 ここでは、本当の桟(桟道)がどういうものだったか探索します。絶壁を往く、足がすくむような危険な場所でした。 ⇒沓掛から板敷野を経て神戸まで歩く
福島宿の南に立ちはだかる尾根を回り込むように越えて塩渕をめざします。 この迂回路にあるのが鳥居の集落で、尾根の背にいたる手前に石仏群が並んでいます。
木曾福島の中心市街地は、かつては塩渕と呼ばれた木曾川の本流と分流に挟まれた中州で、中島と呼ばれていました。 明治以降、ことに昭和期に福島の地形は都市化に向けて大きくつくり変えられていたのです。福島の古地理を探る旅を試みます。 ⇒沓掛木曽福島の往古の地形と街道