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長野県木曽郡木曽町
 
福島宿の歴史と地理

  上の写真は、上町かんまちの福島関所駐車場の近辺です。右の段丘崖の上に関所跡があります。江戸時代の中山道は上の段から横宿に降りてきて、下町・上町を通り、この段丘崖をのぼって関所を通過していました。
  画面左下から奥に延びている道路は県道461号で、昭和期には国道19号でしたが、現在の国道19号の建設後には県道となりました。
  1992年(明治25年)に初期の国道が建設されたときには、道幅半分ほどで、道筋は崖下(画面の右端)を通っていて、そこから緩やかに曲がって上町交差点ないし文化交流センター交差点に達していたようです。

■往古の宿場街の痕跡は消滅■

  


旧横宿通りの食事処と藪裏小路入り口

  今回の街歩きでは、上の段の高札場跡から上の段坂を降り切ると北向きの横宿通りに入ります。この往還を60メートルくらい歩くとほぼ直角に東向きに曲がって下町に入ります。下町の東隣は上町です。上町から関所跡までは旧街道の道筋の痕跡さえ失われています。
  1992年(明治25年)の国道建設によって地形が大きく改造されたため、関所の東側から旧街道の痕跡はすっかり失われてしまったのです。

  江戸時代の宿場の街並みとしては、上の段坂の下から横宿通りが北に向かい、通りの両側には、間口が狭く奥行きが深い町家が軒を連ねていました。いわや旅館の手前で東向きに曲がってから文化交流センター交差点辺りまでは下町で、そこから東が上町となっていました。すでに述べたように、道筋は現在と大きく違っていました。街道の両脇にはやはり宿場の町家の家並みが櫛比していたはずです。
  ところが今、横宿から下町・上町には旧中山道の面影はほとんど見つけることができません。現在残っている家並みは主に昭和期に形成されたものですが、その家並みも失われつつあります。
  それでも横宿通りに連絡している藪裏小路の周辺では、近年、昭和中期の古い家並みが復元され、和風建築の食事処が何軒かできて、上の段の家並みと調和するような景観が少しずつ形成されています。

  さて、上記のように関所から福島宿までの旧中山道の痕跡が消滅してしまっているため、旧中山道の道筋がどうだったのか知ることができません。今わかるのは、関所跡から段丘崖を降りて上町と下町を経て横宿に入り、上の段にのぼって降りて八沢川を渡るという経路だけです。
  最大の問題は、宿場の本陣跡の痕跡も探ることができず、関所から本陣までの連絡路がどうなっていたか知ることができないことです。
  古い写真から知ることができるのは、上の段で大通寺の北西30メートルほどの位置にあったということだけです。とくに本陣に休泊した藩侯や幕府の上級役人たちが関所を通過してから、街道に沿って段丘を降りてからふたたびのぼっていったのか、それとも関所から段丘上を往く往還があったのかが大きな疑問です。


旧下町の通りに面した七笑酒造の店舗

  江戸時代の中山道は、福島関所を通っていました。東からやって来た旅人は関所を抜けてから、段丘の縁を往き、上の段の裾を西向きに緩やかに下って上町・下町に入っていったはずです。現在の県道461号とは別の道でした。
  明治25年に国道制度が敷かれてから福島宿の地形や道路、街並みはすっかりつくり変えられてしまいました。現在の文化交流センターはだいたい旧本陣の跡地ですが、その脇を通る舗装道路が旧中山道の後ではないかと推定されます。
  江戸時代の上の段の北端の段丘斜面は、現在のように切り立った崖ではなく、ずっと緩やかに木曾川に下っていく傾斜だったのではないでしょうか。そして、明治時代の写真を見ると、本陣は現在の文化交流センターの敷地よりも2〜3メートルほど高い段丘面にあったと推定されます。こ段丘斜面は削られてなくなってしまったようです。
  現在の上町交差点から上の段にのぼっていく舗装道路の路盤は比較的に緩やかな斜面になっていますが、明治前期までは、上町から下町にかけてはこの路盤のような傾斜面ではなかったと推測されます。
  木曾福島は明治以降、木曾地方の行政的・経済的中心都市として発展したため、地形や風景は大きく変わってしまいました。往時の姿を想起するのはきわめて難しいのです。


福島宿の本陣跡の近くの現在の姿


上町から上の段にのぼっていく舗装道路


現在の上町駐車場から関所跡がある丘を見上げる


上の段の高札場跡から横宿通りを眺める▲


上の段休憩所から横宿と藪裏小路を見おろす▲


横宿の風景:藪裏小路入り口で上の段方面を振り返る▲


現在の横宿通りには往古の面影はない▲


いわや旅館から東側が旧下町の街区となる▲


古い造りの街や家屋は昭和期の建築▲


中央橋から木曾川沿いの旧下町の家並みを眺める▲


昭和期につくられた家並みで、宿場街の面影は見つからない▲


文化交流センター交差点からの街並み景観▲


上町交差点から関所跡方面を眺める▲


昭和期の面影を残す現上町の家並み▲

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